セラ・デゥシャーム 日本語を勉強し始める前から翻訳された本を読んだり、英訳された字幕が付いた映画などを見たりしたけど、実際に翻訳しようとする前に、翻訳のことをあまり考えたことはなかった。初めて日本語を英語に翻訳してみたのは、日本語を勉強し始めたから2~3年後だった。まだ言語のことを詳しく知らなくて、翻訳は誰にでもできることだと思っていた。それでも、翻訳しようとして、誰にでもできることだと思い続けて、翻訳の深い面白さ・大切さに触れることもなく英訳されたメディアを読んだり観たりし続けて、翻訳をあまり詳しく考えなかった。 たまには日本語の面白い英訳に出くわすこともあったが、普段はそんなに深く考えなかった。しかし、この授業に入って、初めて翻訳のことを真面目に考えさせられた。実際に日本語を英訳する機会は最初はずいぶん楽しそうだったが、実際にやってみると、翻訳の複雑さ、大切さ、そして素晴らしさがわかるようになった。 この授業の前に、翻訳は数人の協力でできあがることだと思っていたが、グループで翻訳を仕上げるのは予想以上に難しいということを実際に翻訳を体験してからわかるようになった。はじめに二人で翻訳をつけるのはとても楽しかったが、その後4人やクラス全員と一緒に翻訳を編集すると、翻訳する人にはそれぞれの「正しい翻訳」があるということがわかって、その様々な翻訳を一つにする難しさを体験して、本物の翻訳家を本当に尊敬した。「正しい」翻訳が複数あるなら、翻訳はいつまでも終わらないことなのではないか、と思った。だから、翻訳は「生きている」と感じて、私は本当に翻訳が好きになった。 私はずっと前から英訳されたものを当たり前のように読んだり観たりしていたから、そのようなものを翻訳してくれた人に感謝できるようになった。翻訳はある言語を話せない人のためにいろいろな素晴らしい作品が楽しめるように世界を回り、人々の役に立てる、素晴らしいことだということにも気づいた。クラスで日本語の短編映画を翻訳して字幕つける、そんなことでも素晴らしいことだと思う。授業以外にも、聞くといつも感動するがあまり知られていない日本の音楽を、日本語がわからない友達がその歌の感じがわかるようになるために歌詞を最近趣味として翻訳し始めた。一人でやることで全然完璧ではいないが、誰かがその翻訳でその歌がわかって好きになるなら、翻訳をした者として嬉しいことだ。それは翻訳の何よりの素晴らしさだと思う。
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show all postsオーヴァートン 栄花 今学期のビデオを翻訳するプロジェクトを通して翻訳の難しさに気づいた。普通何かを書くとしたら、自分の意見を考え、自分で書けば良いことだ。翻訳の元は、他の人の作品で、翻訳者はそのメッセージを伝える役割に過ぎない。自分が翻訳に夢中になりすぎると、作者の言っていることがなくなってしまう場合もある。作者だけではなく、一緒に誰かと翻訳しているならば、その人の翻訳やり方も考え、取り入れなくてはいけないだろう。私は、自分の最初につけた翻訳は個人的なので、他の人の翻訳と合体させるのはなかなか難しいことだった。 ビデオの翻訳していた時、板野 ゆいこさんに一つの言葉には二つの意味をもって書かれていることを教えてくれた。自分たちだけで翻訳をするとしたら、大事なことを見逃していただろう。自分が読んで、何を伝えたいかの問題ではなく、作者の伝えたいことを常に考え、それを英語に翻訳するのが難しかった。でも、これも一番面白かったことでもある。日本語と英語には当然、違う言葉には違う意味もある。日本語の「痛い」は、英語の「ouch」はとても違う。それは感情的に痛いか、体が痛いかの意味もある。ビデオの中で、その二つの意味を表現するのが難しくて、その言葉の英語版を探すのも二つの言語がどのように違うかを考えさせられて面白かった。 私は個人的に他の人と翻訳するのが一番難しかった。日本語を普通に母と喋っていて、その小さなニュアンスがわかって、英語にどのように翻訳すれば良いかをわかっていたと思っていた。でも、本当に翻訳してみると、英語に変えて、意味は一番似ている言葉を使っても、自然には聞こえない場合が多くあった。日本語の言葉の独特な感情を表すには、英語で普通ではない言葉遣いをしらなければいけないと思った。でも、それは、読者の気をそらすので、伝えたいことを分かりづらくなることもあった。そのバランスを見つけるのが難しいということを、一番学んだ。 翻訳は難しくて、他の人のための書く物でも、それは最終的にもっとも完璧で、伝えたいことを伝える翻訳になるのだ。他の人と翻訳をするのに働くのは特別で、誰でも経験をしたほうがいいと思う。難しくても他の人と書くのを通して、自分の書き方もいい影響を受けることもある。新しい経験に怖がらず、挑戦してみると、良い翻訳を作って他の人をもっと意識する視点から書き、考え、感じ始められるだろう。将来ことクラスをとるか、このプロジェクトをやる生徒たちは躊躇せず、自分の意見を発して、一緒に翻訳している人たちや作者と一緒に意見交換をし、自分の書き方を上達するのに集中するべきだと思う。
ケイトリン・オン 私は、今学期の翻訳について気づいたこと学んだことをまとめる。 まず、翻訳するとき誰が聴衆かを考えることは大切な点だ。翻訳の目的は、情報を伝えることので、わかりやすさは大切だ。誰のために翻訳し、どうやって翻訳を理解しやすくするかといった点を考えるべきだと思う。だが、聴衆は自分の経験や言語によって、同じ言葉を聞いたり、読んだりしても、違う考えを受けることがあるかもしれない。だから、効果的に翻訳するため、聴衆の経験と文化が分かることはとても大切だろう。そして、伝えたいメッセージをよく理解することは必要だ。特に聴衆はそれぞれのメッセージの受け取り方が違うので、伝えたいことを中心に訳すのが大切だと思う。そのことを考えれば、翻訳の選択はもっと決めやすくなるだろう。 次に、媒体の伝える感情を考えることだ。文学やエッセイの原版を翻訳するのは、単語を直接翻訳するほど簡単ではない。何か媒体を見て、トーンや感情などの人間らしい詳細を集めて体験したとき、初めてメッセージが伝えられる。例えば、朗読の音量、ペーシング、調子といった詳細は聞く体験によって、大きなインパクトがある。だから、翻訳するとき、そのような詳細にも気づくといいかもしれない。 最後に、日本語と英語は全然違う言語だということをいつも考えるべきだろう。授業で「夜中の汽笛について」を読んだとき、原版と英訳を比べると、翻訳した英語版は日本語版の意味に合っていても、本当に原版が伝えた気持ちとはまだ何か違うという気がした。例えば、英語版の主人公は「してみてほしい」という頼み方の表現を使わず、もっと「私」を使ったため、英語版の男の子の方が上目線で女の子に話す印象を与えたと思う。それに対して、日本語版の男の子は相手に平等に話した。ここから、文法の決まりによって、トーン、イメージ、人物の関係などが変えられてしまうこともあることがわかった。だから、そのような翻訳の決まりがどうやって翻訳に反映するかよく考えるべきだと思う。 今学期、翻訳についていろいろ勉強になって、翻訳の難しさが少しわかるようになった。翻訳するとき、誰のために翻訳するか、わかりやすいか、直訳と意味の翻訳とどちらの方がいいかといった点を考えなくていけないと思う。