クイン・ボケリー
今学期、様々な面白くて難しいことを習った。日本語を翻訳するのは大変だ。特に「さめざめと」の翻訳プロジェクトでは、方言や意味合いが翻訳しにくかった。例えば、どのように関西弁を翻訳するか。標準英語か英語の方言にしてみたらどうか。さらに、「じいちゃん」を翻訳する時、「Gramps」か「Grandpa」のどちらを使うか。「あーいたい」のような掛け言葉は「(I) want to meet _____」か「it hurts」のどちらの方がいいか。選ぶ時、どちらの翻訳がキャラクターの性格、感じ、考えを最もよく表すということを決めるのは大変だ。
それに、日本語だけではなくて、文化も翻訳すべき場合もある。映画やビデオの翻訳をする時、言語より文化の翻訳のほうが難しいのは、現れている文化を言葉で伝えなければならないからだろう。暗黙の文化的なことや伝統を説明するために、長い文を書く必要があるが、ビデオではそれを表すと逆に場違いになることもある。一番いい方法がないように思う。さらに、聴衆によって、どのようにその文化を言葉で伝える質問を答えるかも違うような気がする。
そして、翻訳の時、聴衆は要因かもしれない。このクラスを取るまで、聴衆についてあまり考えたことがなかった。日本語を勉強し始めた時、自分の作文やプロジェクトの聴衆はたいてい先生や日本語を勉強している学生なので、自分と比べて、聴衆の方が日本語を知っているか同じくらい知っていることが当たり前だった。でも、聴衆の大切さについて学んで、それに驚いた。
面白かったと思う。聴衆について考えることで、翻訳は内容を翻訳するだけではなくて、人々を繋ぐことであること、つまり、翻訳は社会的なコミュニケーションの方法の一つであることに気がついた。翻訳は自分と原文だけのコミュニケーションのプロセスだというわけではない。むしろ、翻訳は自分が原文を通して無数の人々と通じるプロセスなのではないだろうか。翻訳する人にとって、自分ではなくて、「原文の一番伝えたいことは何か」という点を考えることが最も重要だと思う。言い換えれば、聴衆に話を分かってもらうために、翻訳の時、何か肝心か、何か肝心じゃないか決めなければならない。それは翻訳の難しくて、面白くて、一番大切なことだと思う。