オーヴァートン 栄花
今学期のビデオを翻訳するプロジェクトを通して翻訳の難しさに気づいた。普通何かを書くとしたら、自分の意見を考え、自分で書けば良いことだ。翻訳の元は、他の人の作品で、翻訳者はそのメッセージを伝える役割に過ぎない。自分が翻訳に夢中になりすぎると、作者の言っていることがなくなってしまう場合もある。作者だけではなく、一緒に誰かと翻訳しているならば、その人の翻訳やり方も考え、取り入れなくてはいけないだろう。私は、自分の最初につけた翻訳は個人的なので、他の人の翻訳と合体させるのはなかなか難しいことだった。
ビデオの翻訳していた時、板野 ゆいこさんに一つの言葉には二つの意味をもって書かれていることを教えてくれた。自分たちだけで翻訳をするとしたら、大事なことを見逃していただろう。自分が読んで、何を伝えたいかの問題ではなく、作者の伝えたいことを常に考え、それを英語に翻訳するのが難しかった。でも、これも一番面白かったことでもある。日本語と英語には当然、違う言葉には違う意味もある。日本語の「痛い」は、英語の「ouch」はとても違う。それは感情的に痛いか、体が痛いかの意味もある。ビデオの中で、その二つの意味を表現するのが難しくて、その言葉の英語版を探すのも二つの言語がどのように違うかを考えさせられて面白かった。
私は個人的に他の人と翻訳するのが一番難しかった。日本語を普通に母と喋っていて、その小さなニュアンスがわかって、英語にどのように翻訳すれば良いかをわかっていたと思っていた。でも、本当に翻訳してみると、英語に変えて、意味は一番似ている言葉を使っても、自然には聞こえない場合が多くあった。日本語の言葉の独特な感情を表すには、英語で普通ではない言葉遣いをしらなければいけないと思った。でも、それは、読者の気をそらすので、伝えたいことを分かりづらくなることもあった。そのバランスを見つけるのが難しいということを、一番学んだ。
翻訳は難しくて、他の人のための書く物でも、それは最終的にもっとも完璧で、伝えたいことを伝える翻訳になるのだ。他の人と翻訳をするのに働くのは特別で、誰でも経験をしたほうがいいと思う。難しくても他の人と書くのを通して、自分の書き方もいい影響を受けることもある。新しい経験に怖がらず、挑戦してみると、良い翻訳を作って他の人をもっと意識する視点から書き、考え、感じ始められるだろう。将来ことクラスをとるか、このプロジェクトをやる生徒たちは躊躇せず、自分の意見を発して、一緒に翻訳している人たちや作者と一緒に意見交換をし、自分の書き方を上達するのに集中するべきだと思う。