Day: December 15, 2020

翻訳というのはどういうふうにする?

翻訳というのはどういうふうにする? ケリー・ウォーカー 今学期、毎週授業で翻訳についてよく話して、色々な面白いことを学んだ。翻訳について学んで考えさせられたことや翻訳する時に言語の違いに気づいたことなど、翻訳する上で、とても役に立った。 特に、翻訳について学んだことと考えさせられたことは、文だけではなく、翻訳の形と読者についても考えなければならないことだ。翻訳はどんな形にするか、誰のために書くか、最初から分かると翻訳しやすくなると思う。私たちはユーチューブビデオに字幕をつける目的があったので、字幕の長さや読むことの難しさについて考えながら、翻訳をつけた。そして、英語の母語話者だけではなく、英語が分かる人のために字幕をつけたかったから、翻訳の分かりやすさにも気をつけた。この二つのことは、私たちの翻訳の選び方に影響を与えた。例えば、日本語の文にどちらもとてもいい英語の翻訳が二つあって、選べなかったら、「あっ、これを字幕にしたら、長すぎるかもしれない」、「これの方がみんなにとって分かりやすいと思う」などと考えた、その結果、翻訳を選ぶのは簡単になった。 そしてクラスメートと先生の話のおかげで、翻訳の方法だけではなく、翻訳の正体についても考えさせられた。この授業の前に、翻訳は時々大変だけど、いつもだいたいできることだと思っていた。しかし、自分で翻訳したり、他にも日本語版と英語に翻訳されたものを両方読んだりして、やっぱり翻訳できないことは多いことに気づいた。それは、少し残念なことだと思ったけど、必ずしも翻訳をするのは無理だということではない。翻訳というのは、他の言語に完璧なコピーをすることではなく、むしろ他の言語に新たな別訳を作ることだろう。だから、完全な訳を探すより、目的や聴衆にあっている訳を書いてみることも大切ではないか。そうしたら、作品を味わえる人は多くなって、翻訳の大事な目的を果たすのではないだろうか。

翻訳の素晴らしさ

セラ・デゥシャーム 日本語を勉強し始める前から翻訳された本を読んだり、英訳された字幕が付いた映画などを見たりしたけど、実際に翻訳しようとする前に、翻訳のことをあまり考えたことはなかった。初めて日本語を英語に翻訳してみたのは、日本語を勉強し始めたから2~3年後だった。まだ言語のことを詳しく知らなくて、翻訳は誰にでもできることだと思っていた。それでも、翻訳しようとして、誰にでもできることだと思い続けて、翻訳の深い面白さ・大切さに触れることもなく英訳されたメディアを読んだり観たりし続けて、翻訳をあまり詳しく考えなかった。 たまには日本語の面白い英訳に出くわすこともあったが、普段はそんなに深く考えなかった。しかし、この授業に入って、初めて翻訳のことを真面目に考えさせられた。実際に日本語を英訳する機会は最初はずいぶん楽しそうだったが、実際にやってみると、翻訳の複雑さ、大切さ、そして素晴らしさがわかるようになった。 この授業の前に、翻訳は数人の協力でできあがることだと思っていたが、グループで翻訳を仕上げるのは予想以上に難しいということを実際に翻訳を体験してからわかるようになった。はじめに二人で翻訳をつけるのはとても楽しかったが、その後4人やクラス全員と一緒に翻訳を編集すると、翻訳する人にはそれぞれの「正しい翻訳」があるということがわかって、その様々な翻訳を一つにする難しさを体験して、本物の翻訳家を本当に尊敬した。「正しい」翻訳が複数あるなら、翻訳はいつまでも終わらないことなのではないか、と思った。だから、翻訳は「生きている」と感じて、私は本当に翻訳が好きになった。 私はずっと前から英訳されたものを当たり前のように読んだり観たりしていたから、そのようなものを翻訳してくれた人に感謝できるようになった。翻訳はある言語を話せない人のためにいろいろな素晴らしい作品が楽しめるように世界を回り、人々の役に立てる、素晴らしいことだということにも気づいた。クラスで日本語の短編映画を翻訳して字幕つける、そんなことでも素晴らしいことだと思う。授業以外にも、聞くといつも感動するがあまり知られていない日本の音楽を、日本語がわからない友達がその歌の感じがわかるようになるために歌詞を最近趣味として翻訳し始めた。一人でやることで全然完璧ではいないが、誰かがその翻訳でその歌がわかって好きになるなら、翻訳をした者として嬉しいことだ。それは翻訳の何よりの素晴らしさだと思う。