「崖の上のポニョ」の翻訳分析

作品について

 「崖の上のポニョ」は海の魚のお姫様と陸の上の男の子の冒険についての話だ。ポニョは海から出たので、海と陸のバランスを乱してしまった。映画のテーマは、愛、責任、家族、人類と自然のバランスについてだ。ポニョの話は日本でもアメリカでもとても有名だから、字幕や吹き替え版など、色々な面白い翻訳がある。

 

作品を選んだ理由

 「崖の上のポニョ」の大人と子供のキャラクターの日本語と英語翻訳の違いに興味があるから、この作品を選んだ。その上、ジブリ映画も好きだし、日本だけでなくアメリカでも人気がある。それに、ジブリ映画の英語翻訳は一般的に好意的に受けとられているので、翻訳家は日本語から英語に翻訳する際に違う意味を選ぶ場合に、「どうしてこの翻訳を選んだか」という質問に興味がある。

 

分析

吹き替え版(ふきかえばん、DUB)vs. サブタイトル

 まず、翻訳比較の対象として日本語、英語のサブタイトルと、英語のDUBを比べる。例えば、ポニョが逃げ出した後、ふじもとさんというお父さんがポニョを取りもどす時に、英語の吹き替え版でふじもとさんは「I exposed you to magic and you are too young to understand」と言うが、日本語で「仕事を見せようなんて連れて来たのがいけなかったのだ」と言う。日本語と同じで英語のサブでもふじもとさんは「This was all my fault. Bringing you along to watch me was a mistake」と言う。意味は全然同じではなくて、英語の吹き替え版は、日本語の翻訳ではなく、話や魔法を説明することを中心にした。英語の吹き替え版は日本語の意味を直接的に翻訳するのではなく、説明を中心にしているようだ。

 

俗語と発音

 次に、俗語と発音の関係を見る。例として、信号灯のモールス信号でコミュニケーションするとき、リサは耕一が帰れなくなると怒ったり、信号灯で罵倒したりするシーンを取り上げる。リサは、日本語で「バカカカカカカカ」と信号を送るが、英語の翻訳は「Jerk!!!!!!」となっている。日本語の「バカ」は可愛い感じがあるが、英語の「jerk」は可愛さがなくて、少し厳しすぎる。英語の吹き替え版は「Bug off」だが、今はあまり「Bug off」を使わないから、「Jerk」の翻訳はもっとわかりやすいだろう。でも、アニメでの翻訳の標準は単語選択の正しさだけでなくて、キャラクターの発音と口調も考えなければならない。元の日本語セリフの背後にある感情を捉えることができた方がいいからだろう。発音の観点から、「Bug off」の発音は「Jerk」よりも「バカ」に近い。だから、「Bug off」はそんな悪い翻訳じゃないかもしれない。英語と日本語の発音は全然違うから、口調を翻訳することは難しいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係・家族

 日本語と英語の翻訳を比べて、宗介、こういち、リサの家族関係の描写に違いがあることも面白い。宗介とお母さんのリサは崖の上に住んでいる。お父さんの耕一は船長だ。リサと耕一の関係はいいが、耕一は仕事柄、家を留守にしていることが多い。家族の強さを表す方法は違う。日本語では、宗介はリサに「リサ、泣かないの。僕も泣かないから。僕ね、ポニョ守ってあげるって約束したの。ポニョ泣いてないかなあ。」と言う。DUBでは、宗介は「Don’t cry, mom. I know dad breaks his promises sometimes. But he does his best for us. I promised Ponyo I’d take care of her, then I lost her. I wonder if she’s crying now.」と言う。日本語では、一緒に頑張って強くなって、元気になるべきだという感じが伝わる。宗介はリサのために、頑張る。英語では、宗介が伝えることはお父さんが頑張るから、お母さんはお父さんを許すべきだという意味になる。そう言った後で、リサは「よし!元気出すぞ!宗介も元気出しな!リサと同じにポニョもきっと元気だよ!」と言った。「リサと同じに」の部分は家族は一緒に強くなる感じだ。日本語では、強さは家族全員の責任で、英語DUBと比べると、英語では、強さは両親の責任ということになる。

 他の家族関係の例は、ポニョが逃げ出した後、ふじもとさんというお父さんがポニョを取りもどし、さすけさんに会うシーンだ。非難のテーマは、日本語から英語への翻訳が違っていた。日本語ではふじもとさんは「まったく私としたことが」言って、サブでは「This is all my fault」と言うが、英語 DUBでは「It’s not your fault」と言う。日本語では、スクリプトとサブの両方に示されているように、非難されていた人はふじもとさんだ。一方、英語のDUBでは、非難は「ポニョのものではない」という意味になる。ふじもとさんのセリフの直訳(ちょくやく、literal translation)は英語で「this is all what I did」だが、DUBがふじもとさんではなくポニョを中心したことは面白い。これは、責任と避難に関するアメリカと日本の違いを示していると思う。日本文化はコミュニティを中心にしているから、自分の行動が他人の生活にどのように影響するかを考えるのは必要がある。しかし、アメリカ文化は個人主義の考え方を使うから、他人が自分の生活にどのように影響をするかについてもっと考える。

 

アメリカ文化

 さらに、英語の翻訳での家族関係はアメリカ文化の影響を強く受けている。特に、男性性(masculinity)についてのアメリカ人の認識は宗介のセリフを変えている。例えば、夜ご飯の前に、​​宗介、ポニョ、お母さんがラジオでお父さんにメッセージを送っていた時、日本語で宗介は「ご飯を食べるつもりだ」と言う。しかし、英語ではこの代わりに、「I’m taking care of everyone, dad」と言う。その上、宗介のお母さんが家を出る時、英語では日本語のセリフを翻訳するだけでなく、日本語にない「You have to be the man of the house tonight」と言うセリフを追加する。宗介は主に、お母さんに育てられて、日本語では「家の男」的なイメージがないにも関わらず、これらのセリフが使われた理由は、アメリカ文化の中では、母との関係で宗介の男性性を表現する必要性があった可能性があり、男性が家庭の影響力がある部分を示す必要があるからかもしれない。日本語では宗介は子供として表されているだけだが、英語ではお父さんがいないことを補うために男になりたい男の子として現わされているように見える。

 また、英語の翻訳は日本的な引き合いの代わりに、アメリカ的な引き合いを使う。一つの主な例として宗介のお父さんが海で戸惑うシーンがある。英語の翻訳で一人の船員は「Did the storm blow us to China?」と言うけど、日本語では「中国」ではなく「アメリカ」を使う。日本はアメリカからは遠いし、元来に「崖の上のポニョ」の対象は日本人し、遠いところの感じを呼び起こすのためにアメリカを使う理由が理にかなう。しかし、アメリカ人にとって、アメリカではこの感じがないし、中国は遠いところのような感じがあるかもしれないし、アメリカではなく中国を使うことが理にかなっていたのではないかと考える。

 

 

 

 

 

 

 

さらに、このシーンには、もう一つの面白い文化の違いが示されている。船員達は周りを見ると、ポニョのお母さんは船の下を通って、海が明るくなって、エンジンを復活させる。この時に、一人の船員は「観音様(Kannon – Buddheist deity of mercy and compassion)が見えた」と言う。このセリフと他のセリフが英語に翻訳されたが、英語の翻訳は日本語にないセリフも追加されている。特に、「So you saw her too? I thought maybe I was hallucinating」と言う。日本文化と違ってアメリカ文化はスピリチュアリティや神様について懐疑的だから、このようなセリフはアメリカ文化を反映している(はんえい、reflects)とも言えるのではないか。

 

歌の歌詞

 授業の翻訳練習の一つとして「パプリカ」という歌の日本語版と英語版を比べた。「崖の上のポニョ」にも歌がある。日本語版はとても可愛くて元気な感じがする。英語版も子供っぽい感じがするが、翻訳はあまりよくない。例えば、「青い海からやってきた」の英語翻訳は「Tiny little fishy, who could you really be?」で、「ポーニョポーニョポーニョふくらんだ」の翻訳は「Ponyo, Ponyo, Ponyo, magic sets you free」だ。英語と日本語の意味はぜんぜん関係がない。音楽は旋律と詩の組み合わせだが、この歌の場合、英語の翻訳は意味はぜんぜん映画と関係がなく、あまり詩的ではない。それに、日本語のオノマトペは翻訳しにくい。例えば、「ペータペタ ピョーンピョン」は魚が地面を跳ねる音で、英語の翻訳は「Tip, tippy toe, jump, jump, and hop」だ。「パークパクチュッギュッ!」の翻訳は「Happy happy are we all!」だ。翻訳は日本語の可愛いい感じが全然ないが、色々なオノマトペは日本語独自の言葉だから、翻訳できないのは仕方がないかもしれない。

 

英語の歌

 

日本語の歌

 

スタッフロール

 日本語版のポニョには、スタッフロールは映画制作関係者全員、動画家、声優、等々を一緒にアルファベット順に書いている。英語DUBのスタッフロールはアメリカの声優、演出家、と他の関係者は自分のスタッフロールの部分に出てくる。これは日本とアメリカの集産主義対個人主義的会社文化や社会文化を表しているのではないだろうか。特に、英語のスタッフロールは始めに、Tina Fey、Noah Cyrus、やBetty Whiteなど有名な声優を見せている。これはアメリカの有名人を特別に見せる文化を表しているように思う。

 

 

結論(けつろん)・まとめ

 「崖の上のポニョ」を分析する過程で、ポニョは日本とアメリカ文化を比べる事が多く、面白い点に色々と気づいた。例えば、アメリカ人と日本人の家族、性役割、集産主義対個人主義、霊性の見方、人間関係の観点を英語DUBと日本語の翻訳を通して分析すると、アメリカでも日本でも、それぞれの言語や文化の違いがあり、それが翻訳に反映されている。これに気がつくと、両方の言語で見て、なぜ翻訳が違うのか理解しやすくなるだろう。言語の違いといえば、映画やセリフの翻訳だけでなく、歌の翻訳も考えさせられた。例えば、歌詞の翻訳は一般的に難しく、オノマトペは翻訳できないことがあるということだ。翻訳家は翻訳を選んだ時、単語選択の正しさを考えるだけでなくて、いつもキャラクターの描写を元の映画に近づける方法や、日本文化からアメリカ文化に、その文化の価値観や概念をどう移行させるか考えなければいけないと思う。研究のおかげで、私たちはこの映画を再び見ることができた。ジブリの映画はいつも癒されるから、何よりこの映画を見て、私たちも元気になった!